2022年04月19日
天野の里の桜の秘密
天野の里へ行くと、なぜこんなに桜が多いのかと思うほどである。

それは、西行が桜が大好きだったので、地元の方々が桜を植えてくださったのだと思う。


何回か移築して、最近では1986年に再建された西行堂。ここで西行と嫁さん、娘が過ごしていたと言われている。この下に、西行の嫁と娘の墓があるらしい。地元の方々がいかに、西行を大切にしていたかわかる。

西行堂の隣に「佐藤商店」という店がある。佐藤とは、西行の実家の名前である。
その佐藤商店の前に「西行田」という田んぼがあると聞いていたが、そこにはモダンな家が建ってあった。その家の表札も「佐藤」だった。
おそらく、西行の実家から西行や嫁さん、娘さんをお世話するお付の人たちがついてきたのか。知らんけど。
それにしても、西行は出家してから一生働いていない。ずっと弟が支えていたと思われる。南方熊楠もずっと弟が仕送りしていた。天才とは、そういうものだろう。
日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
それは、西行が桜が大好きだったので、地元の方々が桜を植えてくださったのだと思う。
何回か移築して、最近では1986年に再建された西行堂。ここで西行と嫁さん、娘が過ごしていたと言われている。この下に、西行の嫁と娘の墓があるらしい。地元の方々がいかに、西行を大切にしていたかわかる。
西行堂の隣に「佐藤商店」という店がある。佐藤とは、西行の実家の名前である。
その佐藤商店の前に「西行田」という田んぼがあると聞いていたが、そこにはモダンな家が建ってあった。その家の表札も「佐藤」だった。
おそらく、西行の実家から西行や嫁さん、娘さんをお世話するお付の人たちがついてきたのか。知らんけど。
それにしても、西行は出家してから一生働いていない。ずっと弟が支えていたと思われる。南方熊楠もずっと弟が仕送りしていた。天才とは、そういうものだろう。
日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
Posted by ちゃーちゃん at
18:21
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2022年04月19日
西行法師の足跡
実は、今回天野を訪れたのは、西行法師の足跡を見たかったからである。
天野には、西行法師の妻とその娘の供養塔があり、県指定文化財となっている。


西行は23歳で出家し10年ほど放浪し、その後高野山へ入る。残された妻と娘は西行に会うために、天野に住み生涯を終えたと言われている。本当に勝手な男である。


そして、ここにも桜が植えられている。(続く)
日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
天野には、西行法師の妻とその娘の供養塔があり、県指定文化財となっている。
西行は23歳で出家し10年ほど放浪し、その後高野山へ入る。残された妻と娘は西行に会うために、天野に住み生涯を終えたと言われている。本当に勝手な男である。
そして、ここにも桜が植えられている。(続く)
日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
Posted by ちゃーちゃん at
05:54
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