2022年04月22日
さだまさしコンサート
先日、久しぶりに「さだまさし」コンサートへ行ってきた。姉からチケットが1枚余ってるので、来ないかと言われ行ってきた。
フェニーチェ堺というホールで、満員だった。
さだまさしは、コロナ禍でも医者と相談しながら、手探りでコンサートをやってきたそうだ。

コンサート後の舞台。
「アコースティックコンサート」と銘打って、ピアノ、アコースティックギター、パーカッションの3人だけであった。
私が特に感心したのは、パーカッション。バスドラ、スネアなし、カフォンと2つの中型ドラムとチャイムのみ。スティックを使ったのは2回くらい。シンバル2枚も手でたたき、実に効果的なサウンドだった。
最近まで、ギタリストの石川鷹彦さんがアレンジを手掛けていたが、その日はピアノのなんちゃらさんだった。
曲目は、グレープ時代の歌半分と、有名な歌と新曲は2~3曲のみ。本当に、感動した。
フェニーチェ堺は、4階まである一流のコンサートホールだった。

やっぱり、生の演奏はいい!!!
日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
フェニーチェ堺というホールで、満員だった。
さだまさしは、コロナ禍でも医者と相談しながら、手探りでコンサートをやってきたそうだ。

コンサート後の舞台。
「アコースティックコンサート」と銘打って、ピアノ、アコースティックギター、パーカッションの3人だけであった。
私が特に感心したのは、パーカッション。バスドラ、スネアなし、カフォンと2つの中型ドラムとチャイムのみ。スティックを使ったのは2回くらい。シンバル2枚も手でたたき、実に効果的なサウンドだった。
最近まで、ギタリストの石川鷹彦さんがアレンジを手掛けていたが、その日はピアノのなんちゃらさんだった。
曲目は、グレープ時代の歌半分と、有名な歌と新曲は2~3曲のみ。本当に、感動した。
フェニーチェ堺は、4階まである一流のコンサートホールだった。

やっぱり、生の演奏はいい!!!
日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
Posted by ちゃーちゃん at
20:49
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2022年04月22日
全国の鈴木家の総本家が海南に?
藤白神社の敷地内に全国の鈴木家の総本家がある。
神武東征の折、この地の人が「穂積」という姓を授かった。そして、稲穂を掛ける木を熊野では、「聖木」(すすき)と呼んだらしい。 知らんけど。
そこから「鈴木」さんとなったらしい。現在、日本で一番か二番に多い姓が「鈴木」である。
源義経の重臣 鈴木三郎重家を祖とし、以後800年以上たっている。
義経に従って、奥州へ逃げ、義経は殺されたが、重家は逃げて東北に住み着き、東北の鈴木姓の始祖となる。

(令和5年の完成を目指す、鈴木家。国の重要文化財である。)
境内にある鈴木家に25代重秀が住み、その後、122代昭和17年までここに住んでいた。
熊野を中心に鈴木姓が広がっていった。


(日本国中の鈴木さんたちが、ここにやってきている。)
ちなみに、鈴木孫一重秀は通称「雑賀孫一」として有名である。秀吉の焼き討ちにあったが。
神武東征の折、この地の人が「穂積」という姓を授かった。そして、稲穂を掛ける木を熊野では、「聖木」(すすき)と呼んだらしい。 知らんけど。
そこから「鈴木」さんとなったらしい。現在、日本で一番か二番に多い姓が「鈴木」である。
源義経の重臣 鈴木三郎重家を祖とし、以後800年以上たっている。
義経に従って、奥州へ逃げ、義経は殺されたが、重家は逃げて東北に住み着き、東北の鈴木姓の始祖となる。
(令和5年の完成を目指す、鈴木家。国の重要文化財である。)
境内にある鈴木家に25代重秀が住み、その後、122代昭和17年までここに住んでいた。
熊野を中心に鈴木姓が広がっていった。
(日本国中の鈴木さんたちが、ここにやってきている。)
ちなみに、鈴木孫一重秀は通称「雑賀孫一」として有名である。秀吉の焼き討ちにあったが。
Posted by ちゃーちゃん at
20:31
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