2022年04月21日

有間皇子殺害

藤白神社には、有間皇子の墓がある。なぜ、殺されなければならなかったか?

まず、 大化の改新で、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原)で、蘇我入鹿を中大兄の母である皇極天皇の前で殺してしまう。

 次に、中大兄は皇極天皇の弟を孝徳天皇として即位させる。

(有間皇子の墓は、藤白神社から200mほど離れた場所にある)

有間皇子は孝徳天皇の息子である。やがて、孝徳天皇が亡くなる。

孝徳天皇の死後、息子の有間皇子が即位するべきところだが、中大兄皇子は、もう一度母である皇極天皇を斉明天皇として即位させる。(2回目)

有間皇子は、父の死後、政争に巻き込まれたくないので、心の病を装い、牟婁の湯(白浜?)にいたが、飛鳥に帰ってくる。


有間皇子と中大兄皇子は従兄弟であり、どちらが天皇になってもおかしくない立場だった。そこで、一計を案じて、蘇我赤兄を使って、有間皇子をそそのかして謀反を企んでいると断罪した。中大兄は、なんとも恐ろしい策士である。

中大兄皇子に2日後、藤白坂にて絞殺された。享年19歳。



「家にあらば 筍に盛る飯を草枕 旅にしあれば、椎の葉に盛る。」という句は、自分の死を予感しているようだ。


日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。  


Posted by ちゃーちゃん at 06:49Comments(0)