2022年04月13日

紀の川市に遊郭があった??

 昔、旧打田町に遊郭や旅館があったのを知っているだろうか。
 それは、竹房橋周辺、新四国88カ所の近くである。


新四国88カ所は、実は、2回再興されている。
(1回目)
 1855年明算上人750回忌の時に、明算を顕彰しようという動きがあり、龍蔵院を中心として、新四国88カ所を造った。
 弘法大師が、四国から帰る途中、紀の川の水面に梵語の「阿」という文字を見て、「この地から我の法を興す者が出る。」と預言し、明算上人が出た。その付近の大きな岩を「阿字岩」と名付け、その上に「阿字堂」を設置したが、今はどこにあったか不明である。

旧竹房橋の近くにひっそり佇む祠。これが阿字堂か?

88カ所の半分近くは個人がお金を出し建てた石仏や祠で、あとの半分は各大字がお金を出したようである。知らんけど。
 昔は、自由に旅行できなかったので、すぐに行けるようなミニ88か寺が各地にできた。

(2回目) 
 女学生が紀ノ川で遭難したため、コンクリートの橋を紀ノ川に架けたいと、県会議員の羽端鹿助氏や田中村村長の山中壽男氏が中心となって、1929年に竹房橋が完成した。
 当時は、年間約20万人の観光客があり、国鉄「打田駅」から百合山まで、アリの行列のようだった。

 周囲には旅館や遊郭、土産物屋などたくさんあったそうである。だいたい、人が集まる神社仏閣や自衛隊駐屯地近くには、必ずと言っていいほど遊郭、赤線があった。1958年までは、半ば公認のようだった。観光で得た金で、田中小学校を建て替えたりしたらしい。知らんけど。


(3回目)
 1987年「ふるさと創生1億円」事業とからめて、新四国88カ所が再興されたが、最近あまり人が入らなくなり、道や周囲が荒れてきている。あと、何年かすれば、通る道が草ぼうぼうとなって、また廃墟となる可能性がある。(続く)


雰囲気は、京都なのだが・・・。

次の日曜日は、イースター特別礼拝があります。お気軽にお越しください。
  


Posted by ちゃーちゃん at 20:51Comments(0)