2022年03月31日

釣堀

 今日は、友人4人で釣堀へ行ってきました。
 朝、携帯を忘れて取りに帰り、友達の車に乗せてもらった時に、道具の入ったベストを忘れ、結局向こうで、仕掛けを全て借りました。

 先週、痛風になり足をひきずりながら、仕掛けを全て忘れ、釣果も4人のうちで最低でした。こんな不調は、久しぶりです。まあ、こんなもんでしょう。

結局、マダイとシマアジ1匹ずつで終わり。

帰ってきてから、刺身用と煮つけ用に捌きました。2匹ぐらいでちょうどいいです。(負け惜しみ)


刺身用の切り身



煮炊き用のあら。

うちでは、ここまでしないと魚を捨ててこいと言われます。友人の一人は、マツゲンへ持ち込んで5匹すべて捌いてもらうと言ってました。ちなみに、1匹500円でやってくれるそうです。

日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
  


Posted by ちゃーちゃん at 17:19Comments(6)

2022年03月30日

デサフィナートライブ

先日、久しぶりにデサフィナートで歌わせていただいた。


ヤマオさん。

おちゃのこさいさい。

ピュア ウォーターさん、他全部で19組、24人の出演でした。


ここは、音響もよくて気持ちよく歌えます。

日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
  


Posted by ちゃーちゃん at 18:34Comments(0)

2022年03月30日

亀池公園

 朝、少し時間があったので、海南市の亀池公園へ行ってきた。

やはり、4月3日の桜まつりは中止みたいだ。




周囲4kmの公園をこれだけ管理しようと思うなら、相当キーパーさんが入らないとできないだろう。



紀州徳川藩の別荘「双青閣」をここへ移築したようだ。




チューリップ2万球、吉野桜2千本。あじさい、無数にあります。



お弁当を持って、行きたいですね。

日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
  


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2022年03月29日

西行の好きだった人は?

 西行は、ある人が好きだったが、一緒になれないのなら、いっそ出家してしまおう、となったそうである。それは、だれだろうか。

一般には、鳥羽天皇の奥さん待賢門院だったと言われている。その子供が崇徳天皇である。

しかし、崇徳天皇は、鳥羽の子ではなく、白河天皇の子だと言われている。なぜなら、待賢門院は、白河天皇のめかけだった。そして、身内の鳥羽に嫁いだ時には、お腹に赤ちゃんがいた。鳥羽も崇徳天皇を自分の子だと思っていなかった。


だから、この親子は政争に破れ、最後は四国へ島流しになる。

鳥羽には、もう一人の妻、美福門院がいた。

 
私は、この待賢門院より美福門院の方が西行の恋人だったのではないかと思うのである。


なぜなら、待賢門院とは17歳差、美福門院とは1歳差であった。

また、美福門院は、鳥羽が亡くなった後、自分の領地である荒川荘に来ている。そして、紀の川市高野(たかの)に「高野寺」を建てた。
美福門院の住む桃山町調月(つかつき)と高野寺と西行のいる高野山は一直線上に並ぶ。毎日、西行のことを思っていたに違いない。
そして、亡くなった後、夫の鳥羽のお墓に入らず、自分の骨を高野山へ届けてくれと遺言する。西行は、その骨を受け取ったに違いない。知らんけど。



桃山町元にある美福門院の墓。

ちなみに、荒川を「安楽川」と読み替えたのは、美福門院だと言われている。
死後に一緒になるというのは、何ともロマンティックである。
日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。  


Posted by ちゃーちゃん at 17:00Comments(0)

2022年03月29日

西行法師の謎


 

西行法師について少し紹介したい。

本名 佐藤義清(さとうのりきよ)。平将門の乱を平定した藤原秀郷を祖とする。
その子孫が北へ行ったのが、平泉の中尊寺で有名な奥州藤原氏。
西へ来たのが田中荘や池田荘に住み着いた佐藤氏である。


代々、京都の官職(左衛門尉)についていたので、左(衛門尉)の藤(原)さんで、佐藤となった。

この銅像東500mの所に地元の方々が「佐藤城」と呼ぶところがある。


西行の最も有名な句は、「願わくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」である。
私訳「できるなら、桜の木の下で、春の満月の頃に死にたいものだ。」


この「如月の望月の頃」というのは、仏陀が亡くなった日である。西行は、その日に死のうと断食をして、1日違いで亡くなったと言われている。知らんけど。河内長野の弘川寺で亡くなったことが分かっているが、竹房で生まれたことは、生涯隠し通した。

これからその謎を探っていきたい。(続く)

日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
  


Posted by ちゃーちゃん at 09:41Comments(0)

2022年03月27日

ジョイフル最高

 平日の午前10時半頃、妻とジョイフルへ行って来ました。
 ガラガラ(失礼)で、すきすきなので、コロナの心配はいりません。


妻は、サバ定食。


私は、モーニング。どちらも、ドリンクバー付き。

2人で1100円。コーヒー、ジュース飲み放題。


一人で、行って読書もできますね。


日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
  


Posted by ちゃーちゃん at 18:31Comments(0)

2022年03月27日

岩出御殿

 紀の川市の隣、岩出市に「岩出御殿」という建物がある。


現在は、老健施設のお風呂になっているが、昔ここに紀州藩の別荘があった。
1764年に取り壊され、現在横浜市の三渓園に「臨春閣」として建っているらしい。知らんけど。


ここは、昔から風光明媚な場所で、徳川家が鷹狩に来たり参勤交代の時の宿として使用。吉宗は若い頃、ほとんどここで過ごしたらしい。


貴志川と紀の川の合流点


勤操大徳の碑。奈良の高僧で、弘法太子の才能を見抜き、留学の手助けをした。いわば、弘法大師の師匠。
近くの「あかい寺」に銅像がある。



残念ながら、貴志川が洪水で反乱するので、約3年かけ、この近くの奇岩や土砂を全て取り除き、景色がガラッと変わってしまった。

日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。  


Posted by ちゃーちゃん at 18:18Comments(0)

2022年03月27日

西行法師は紀の川市生まれ?

 国道424号線沿い 竹房橋手前500mほどに西行法師像が建っているのを知っているだろうか。




西行法師は、百人一首にその歌があり、生涯3000首以上短歌を作り、「歌聖」と呼ばれているが、謎の多い人物である。

結婚して、京都北面の武士として鳥羽天皇を守るというエリートながら、23歳で出家し生涯出身地を隠していた。

これから、その謎に迫っていきたい。


百人一首にあるこの歌の意味は?
「嘆けとて 月やはものを 思わする かこち顔なる わが涙かな」


私訳「嘆きなさいといって、月夜の美しさにかこつけて 涙が流れる(が本当は、あの人のことを思って涙が流れるのだ。)」



さて、西行が好きだったあの人とは、一体誰なのか。 (続く)

今日午前11時より、粉河チャペルにて礼拝がございます。


  


Posted by ちゃーちゃん at 05:54Comments(0)

2022年03月26日

餓死人塚

百合山新四国八十八カ所の1番の近くに餓死人塚という石碑があります。
「天明・天保の大飢饉、それ以前十余回の飢饉により、草根木皮を食べ塗炭の苦しみにより、餓死者が多数出た」とかいてあります。






紀の川市は、豊かな穀倉地帯だと思っていましたが、凶作、天候不良により、餓死者が多く出ていたことを初めて知りました。

飽食の今は、考えられないことです。食物廃棄はできるだけなくしたいです。

明日は、粉河チャペルにて午前11時より礼拝がございます。
  


Posted by ちゃーちゃん at 05:55Comments(0)

2022年03月22日

名手本陣

 今日、名手本陣へ行ってきた。 




 妹背家は、紀伊八大庄屋の一つとして中世より、栄えていたそうだ。徳川頼宣が紀州入りしてから、参勤交代や鷹狩の宿として使っていたようである。ちなみに、華岡青洲の妻は、妹背家出身である。

大和街道沿いにあり、国の重要文化財に指定されている。入場料は無料だが、火曜日は休みだった。




和歌山市から奈良大和までこの道を歩いて行き来していたようである。知らんけど。

日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
  


Posted by ちゃーちゃん at 19:07Comments(0)