2022年03月29日

西行法師の謎

西行法師の謎
 

西行法師について少し紹介したい。

本名 佐藤義清(さとうのりきよ)。平将門の乱を平定した藤原秀郷を祖とする。
その子孫が北へ行ったのが、平泉の中尊寺で有名な奥州藤原氏。
西へ来たのが田中荘や池田荘に住み着いた佐藤氏である。


代々、京都の官職(左衛門尉)についていたので、左(衛門尉)の藤(原)さんで、佐藤となった。

この銅像東500mの所に地元の方々が「佐藤城」と呼ぶところがある。
西行法師の謎

西行の最も有名な句は、「願わくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」である。
私訳「できるなら、桜の木の下で、春の満月の頃に死にたいものだ。」


この「如月の望月の頃」というのは、仏陀が亡くなった日である。西行は、その日に死のうと断食をして、1日違いで亡くなったと言われている。知らんけど。河内長野の弘川寺で亡くなったことが分かっているが、竹房で生まれたことは、生涯隠し通した。

これからその謎を探っていきたい。(続く)

日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。



Posted by ちゃーちゃん at 09:41│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。