2022年04月24日

木食応其上人とは?

 秀吉の紀州攻めで、高野山から交渉人として木食応其が遣わされた。
 滋賀県出身の元武士で、のちに出家して高野山へは客僧であったが、十穀を絶つ「木食行」を行ったので、木食応其となったらしい。

 奈良の大仏を造った「行基」の再来と言われたほど優秀だった。

 全国で、97の寺の勧進につとめ、造営にかかわった。

 紀の川市では、桃山の三船神社、粉河町の鞆淵八幡宮などにかかわった。

鞆淵八幡神社


三船神社

ため池や土木事業にもかかわり、高野口町に「応其」という地名があり、「応其小学校」も残っている。

応其小学校校歌には、「~遠き昔を訪ぬれば、木食応其上人の~」という歌詞もある。

彼が造った「引の池」には、たまに遠足に行くようである。 知らんけど。

客僧でありながら、交渉人に任命されたのは、秀吉とは旧知の間柄で、同じ滋賀県出身の石田三成とも親交があった。

日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。
  


Posted by ちゃーちゃん at 14:29Comments(2)