2021年11月08日

日本最古のみかん?

 いつもさんぽする桃源郷運動公園には、珍しい植物があります。

菊実橙というそうで、実が菊のような形をしています。


多分、やまと橘だと思います。万葉集や古事記にも登場する植物で、最古のミカンの原型です。
常緑なので、めでたいとされたのでしょう。食べたことはありませんが、酸っぱいと思います。
人の姓で橘さんとか、地名で橘というのもありますから、相当昔からあったのでしょう。


ぷちまる金柑です。「ぷち」というだけあって、実が小さいです。

自然の中を歩くと、気持ちがいいですよ。
  


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2021年11月08日

11月7日礼拝メッセージ

 11月7日の礼拝メッセージの要約を載せさせていただきます。
マタイによる福音書27章3~5節 「とちらを見るか」
①見る方向を変える
 今日の聖書箇所では、裏切り者のユダのことを書いてある。人間は、すでに終わったことでくよくよするが、悔やんでも取り返しがつかない。人間は失敗する者である。なぜ、くよくよして引きずって前を向けないか。
 
 「後悔」という言葉をインターネットで調べると「断ち切る方法」がいくつか書かれていた。イエスは「目線を変えなさい」と言われる。
 
 今日登場する2人ユダとペテロは対照的である。2人ともイエスを裏切ったが、ユダは自殺し、ペテロは立ち直った。それは、みつめる方向が違ったからである。
 
 イエスは、最後の晩餐の時に、すでにユダの裏切りを知っていた。捕まえに来た時も「友よ、何のために来たのか。」とユダに尋ねている。これは、イエスの心の表れである。裏切りを知っていた上で、「友よ」と呼びかけるイエスの哀れみ深さである。ユダにも立ち直る機会はあった。しかし、ユダはイエスの哀れみをわかっていなかった。罪責感に支配され自殺してしまった。

②過ちを認める。
 イエスは、過ちを見つめることを望んでおられる。 
 ペテロは、自分が1番弟子で命がけでイエスについていくつもりだった。しかし、簡単に裏切った。イエスを3度「知らない」と言った。直後にイエスの「あなたは、にわとりが鳴く前に、私を3度知らないと言うでしょう。」という言葉を思い出し、激しく泣いた。打ちのめされた。しかし、復活したイエスに出会い立ち直った。その後、命がけの伝道者になり、殉教した。
 
 2人の違いはどこにあったか。イエスは後悔にとどまることを望まない。ユダは自分を裁いた。裁く権限は神にあり、人間にはない。ペテロは180度悔い改めた。イエスは、悔い改めて、前を見なさいと言われる。悔い改めは将来を見る、後悔は後ろを見る。
 
 ペテロは弟子を辞め、漁師に戻っていた。ガリラヤ湖で復活のイエスと出会い、イエスは3回「私を愛するか」と聞かれた。ペテロはきちんと対面して立ち直った。

③十字架の赦しと回復
 後悔は、自分を責める。しかし、悔い改めは前を向かせる。イエスは我々の罪の身代わりとして十字架にかかり、罪を滅ぼし復活した。過去の罪と向き合い、将来を見つめる。我々は自覚がなくても、赦されている存在である。それを受け入れるだけである。確かに傷跡は起こる。しかし、痛みはもうない。悔い改めは、傷を見る度に辛いことを思い出すが、痛みはなく前進させていただく。過去には戻れない。過去は消せない。その時、方向転換して立ち直る。ユダは死を選んだ。しかし、ペテロは立ち直った。過去は過去。前を向いて生きたい。イエスはそれを願っている。

  


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