2022年02月16日

大石誠之助

 私が、新宮市に興味を持つきっかけとなったのが、大石誠之助氏である。

大逆事件で死刑になった人たちを顕彰する記念碑である。

彼は、同志社で学び、アメリカ、カナダに留学し医学を学ぶ。インドポンペイ大学でカースト制度を見て、社会主義に目覚める。幸徳秋水と親交があり、資金援助をしていたため、大逆事件で逮捕され死刑となる。26人捕まり、12名が死刑、12名が無期懲役、2名が有期刑となる。そのうち、6名は新宮出身であった。(大石は現在、新宮市名誉市民となっている)
 捕まった時、与謝野鉄幹が弁護士の平出修に弁護を頼む。このとき、親交のあった粉河の児玉充次郎牧師、沖野岩三郎らも疑いを持たれる。



 大石は、貧しい人からはお金を取らず、「ドクトルおほいし」と呼ばれていた。兄の大石与平はJBヘールから洗礼を受け、和歌山伝道の立役者となる。大石与平の息子が教育者の西村伊作である。


 
 大石誠之助が死刑になったとき、友人の与謝野鉄幹、新宮出身の作家佐藤春夫らも悼む詩を書いているが、いずれも当局の目をくらますために、風刺詩として書かれている。大逆事件は当局のいわゆる「レッドパージ」(赤狩り)であったと言われ、幸徳秋水には、天皇暗殺の計画はなかったとされる。
 
 和歌山出身の作家辻原登が大石誠之介をモデルとして「許されざる者」という小説を毎日新聞に連載していた。




わずか100年ほど前に、無実の人たちを思想犯として死刑にしたのが、日本という国である。中国やソ連ほどではないにしても、五十歩百歩である。


日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。  


Posted by ちゃーちゃん at 18:04Comments(0)