2021年12月19日
いじめはなくならない?!
先日、いじめはなくならないという内容の本を読んだ。

「大津いじめ自殺事件」から10年が経った。しかし、いじめはいっこうに減らない。 脳科学者、中野信子の本に「いじめはなくならない」ということが書かれていた。彼女の論点は、特にまじめで規則を守ろうとする集団では、自分たちと異質の者や規則を破る者に対して、排除しようとする力が働く。したがって、少しでも違うことをしている人に対しては、排除することが正義だと信じるようになる。例えば、決まった日にゴミを出さない、挨拶をしない等。コロナ警察もこの典型的な例である。悲しい出来事だが、先日も、マスクをしろと注意した方が、逆に攻撃され半身不随となってしまった。(中野氏は、いじめの場を離れること以外に解決方法はないと言っている。つまり転校する、学校へ行かない、ネットを見ない、引っ越す、などいじめの場から離れることが唯一の解決方法だと書いてある。)
コロナ禍で営業時間の8時までということを守らない、マスクをしていない、などの人を見かけると注意するだけでなく、ネットに書き込んだり張り紙をしたりして攻撃する。まるで、自分たちが絶対正義で規則を破っている者が悪であるかのように振る舞う。営業規制は、あくまでも政府からの「お願い」であって、強制力を持った私権の制限ではないということがわかっていながら、そういう振る舞いをしてしまう。これは、いじめの構図と同じである。
10年前の大津のいじめ自殺事件があって、それがあまりにもひどかったので、政府や教育関係者達は指導要領の改正に伴って、道徳教育の教科化と教育内容の抜本的な見直しをして、いじめをなくす手立ての一つにしようと思い、指導要領の改正を行った。しかし、現実的には、いじめはなくなるどころかずっと続いている。日本人が多様性を認め、異質なものを排除するような気質を改めない限り、教育ではいじめはなくならないのかもしれない。しかも、全員がマスクをする、またマスクをしない人が犯罪者であるかのような目で見る国民性である。これでは、いじめはなくならないだろう。口では多様性を認めようとか差別はいけないとか言っているが、日本人のメンタリティーは数百年以上かけて築き上げられてきたものだから、一朝一夕には直らないだろう。
ユダヤの議会では、全員賛成の法案は否決されるそうである。人間の意見で100%ということは、あり得ないということがわかっているからである。
どのような良い意見や案でも必ず反対が20%はいると言われている。どんな良い意見を書き込んでも、一定の割合で「BAD」が押される。しかし、それも違う意見として公共の福祉に反しない限り、認めていくような度量を持たないといじめはなくならないのかもしれない。
日本人のメンタリティーが多様性を認めようにならない限り、残念ながらいじめはなくならないような気がする。教育に期待するのは難しいだろう。
今日は、午前11時より粉河チャペルにて、クリスマス礼拝が持たれます。
お気軽におこしください。
「大津いじめ自殺事件」から10年が経った。しかし、いじめはいっこうに減らない。 脳科学者、中野信子の本に「いじめはなくならない」ということが書かれていた。彼女の論点は、特にまじめで規則を守ろうとする集団では、自分たちと異質の者や規則を破る者に対して、排除しようとする力が働く。したがって、少しでも違うことをしている人に対しては、排除することが正義だと信じるようになる。例えば、決まった日にゴミを出さない、挨拶をしない等。コロナ警察もこの典型的な例である。悲しい出来事だが、先日も、マスクをしろと注意した方が、逆に攻撃され半身不随となってしまった。(中野氏は、いじめの場を離れること以外に解決方法はないと言っている。つまり転校する、学校へ行かない、ネットを見ない、引っ越す、などいじめの場から離れることが唯一の解決方法だと書いてある。)
コロナ禍で営業時間の8時までということを守らない、マスクをしていない、などの人を見かけると注意するだけでなく、ネットに書き込んだり張り紙をしたりして攻撃する。まるで、自分たちが絶対正義で規則を破っている者が悪であるかのように振る舞う。営業規制は、あくまでも政府からの「お願い」であって、強制力を持った私権の制限ではないということがわかっていながら、そういう振る舞いをしてしまう。これは、いじめの構図と同じである。
10年前の大津のいじめ自殺事件があって、それがあまりにもひどかったので、政府や教育関係者達は指導要領の改正に伴って、道徳教育の教科化と教育内容の抜本的な見直しをして、いじめをなくす手立ての一つにしようと思い、指導要領の改正を行った。しかし、現実的には、いじめはなくなるどころかずっと続いている。日本人が多様性を認め、異質なものを排除するような気質を改めない限り、教育ではいじめはなくならないのかもしれない。しかも、全員がマスクをする、またマスクをしない人が犯罪者であるかのような目で見る国民性である。これでは、いじめはなくならないだろう。口では多様性を認めようとか差別はいけないとか言っているが、日本人のメンタリティーは数百年以上かけて築き上げられてきたものだから、一朝一夕には直らないだろう。
ユダヤの議会では、全員賛成の法案は否決されるそうである。人間の意見で100%ということは、あり得ないということがわかっているからである。
どのような良い意見や案でも必ず反対が20%はいると言われている。どんな良い意見を書き込んでも、一定の割合で「BAD」が押される。しかし、それも違う意見として公共の福祉に反しない限り、認めていくような度量を持たないといじめはなくならないのかもしれない。
日本人のメンタリティーが多様性を認めようにならない限り、残念ながらいじめはなくならないような気がする。教育に期待するのは難しいだろう。
今日は、午前11時より粉河チャペルにて、クリスマス礼拝が持たれます。
お気軽におこしください。
Posted by ちゃーちゃん at
08:49
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2021年12月19日
今日の主のめぐみ
今日の主のめぐみは、ほうれんそうのおひたし。

茹でた後、あくを抜くために水にさらしています。妻に教えていただきました。知らんけど。
茹でた後、あくを抜くために水にさらしています。妻に教えていただきました。知らんけど。
Posted by ちゃーちゃん at
08:40
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