2021年10月04日

天は神の栄光をあらわす

詩編19:2ダビデの言葉
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざを示す。」

大自然は第2の神と言われるほど、神様の偉大さをあらわしています。

 いつも、歩きに行っている紀の川市桃源郷運動公園からの景色です。
北向き  和泉山脈を越えて、毎日大阪へ通勤されている方ご苦労様です。


東向き 紀州富士と呼ばれる龍門山も横からみたら、こんな感じです。



西向き 船戸山です。古墳群がありますが、今は1万匹の鷺の巣です。


南向き トラックと紀伊山地です。


 この公園の外周がほぼ1kmあり、2~3周してから働きに行きます。この公園の難点は芝生や生け垣、池など自然を多く残したので、年間管理費が1000万円を超えています。また、駐車場が全部で100台くらいしかないので、大きな大会とかできません。まったく駐車場が足りません。せっかく、トラックは北京オリンピックと同じ仕様のもので、芝生ではサッカーの公式試合もできるのに。せめてもう少し芝生部分を減らして、あと100台くらい駐車場を増やせば、管理費も少なくすむし、大会も楽にできたと思いますが。
  


Posted by ちゃーちゃん at 19:13Comments(0)

2021年10月04日

「嵐の中で」

10月3日、日曜日礼拝の要約を載せさせていただきます。

マルコ4章35節~41節より 「嵐の中で」
 
 この出来事は他の福音書にも出てくるが、マルコは他の箇所と違う言葉使っている。それは、「私達がおぼれそうでも、何とも思わないのですか。」という言葉である。イエスは、寝ておられたが起きて「信仰の無い者たちだ。」と叱られた。
 自分たちの信仰を振り返る。「何とも思わないのですか。」という言葉には、自分のことしか考えていないことが読み取れる。ルカでは「助けてください。」という言葉が使われているが、マルコはパニックになっていて、つい本音が出たのかもしれない。「あなたは、何も手をさしのべてくれないのですね。」という本音。しかし、これは、イエス様のことをよくわかっていない。我々もよくわかっていない。では、イエス様はどういうお方か。

①我々も理不尽なことや、病気、痛み、等々でよくつぶやく。「私を何とも思っていないのですか。」しかし、その逆でイエス様はだれのために死なれたのか。我々を救おうとされた方が放っておくはずがない。イエス様の態度は一貫して変わらない。

②イエス様は、超自然的な方である。
我々は、不完全で狭い考えしかない。他人の苦しみや痛みに気付かない場合が多い。しかし、イエス様は変わらぬ愛を持って臨んでくださる。

③イエス様を信じる必要がある。信じる時に力となる。ペテロは信じたから水の上を歩けた。パウロや弟子達は殺される危険があっても福音を宣べ伝え続けた。

例 旧約聖書にルツという女性が出てくる。義母はナオミ。ナオミは息子(ルツの夫)も自分の夫も亡くして、ルツをモアブに帰そうとした。しかし、ルツはナオミについていった。異邦人であり、未亡人であるルツは差別されることがわかっていたのに、ナオミの神様を信じたから力を得てついて行き、ベツレヘムでたくましく生きた。真の神を信じたから力を得た。
 我々はつぶやくが、これがイエス様の胸を傷つける。「私は、あなたのために命を捨てた。なぜそんなに不信仰になるのか。」イエス様の愛、熱量、時間は変わらない。イエス様の言葉を信じしっかり立っていこう。嵐は突然やってくるので、パニックにならないように。

◎ヨハネによる福音書11章40節「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、と私は言ったではありませんか。」アーメン

  


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