2021年10月04日

「嵐の中で」

10月3日、日曜日礼拝の要約を載せさせていただきます。

マルコ4章35節~41節より 「嵐の中で」
 
 この出来事は他の福音書にも出てくるが、マルコは他の箇所と違う言葉使っている。それは、「私達がおぼれそうでも、何とも思わないのですか。」という言葉である。イエスは、寝ておられたが起きて「信仰の無い者たちだ。」と叱られた。
 自分たちの信仰を振り返る。「何とも思わないのですか。」という言葉には、自分のことしか考えていないことが読み取れる。ルカでは「助けてください。」という言葉が使われているが、マルコはパニックになっていて、つい本音が出たのかもしれない。「あなたは、何も手をさしのべてくれないのですね。」という本音。しかし、これは、イエス様のことをよくわかっていない。我々もよくわかっていない。では、イエス様はどういうお方か。

①我々も理不尽なことや、病気、痛み、等々でよくつぶやく。「私を何とも思っていないのですか。」しかし、その逆でイエス様はだれのために死なれたのか。我々を救おうとされた方が放っておくはずがない。イエス様の態度は一貫して変わらない。

②イエス様は、超自然的な方である。
我々は、不完全で狭い考えしかない。他人の苦しみや痛みに気付かない場合が多い。しかし、イエス様は変わらぬ愛を持って臨んでくださる。

③イエス様を信じる必要がある。信じる時に力となる。ペテロは信じたから水の上を歩けた。パウロや弟子達は殺される危険があっても福音を宣べ伝え続けた。

例 旧約聖書にルツという女性が出てくる。義母はナオミ。ナオミは息子(ルツの夫)も自分の夫も亡くして、ルツをモアブに帰そうとした。しかし、ルツはナオミについていった。異邦人であり、未亡人であるルツは差別されることがわかっていたのに、ナオミの神様を信じたから力を得てついて行き、ベツレヘムでたくましく生きた。真の神を信じたから力を得た。
 我々はつぶやくが、これがイエス様の胸を傷つける。「私は、あなたのために命を捨てた。なぜそんなに不信仰になるのか。」イエス様の愛、熱量、時間は変わらない。イエス様の言葉を信じしっかり立っていこう。嵐は突然やってくるので、パニックにならないように。

◎ヨハネによる福音書11章40節「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、と私は言ったではありませんか。」アーメン
「嵐の中で」



Posted by ちゃーちゃん at 19:07│Comments(0)
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