2021年09月29日
合理主義と日本的倫理観と聖書
9月26日(日)、「そこまで言って委員会」という番組でハーバードのマイケル・サンデル教授の問題が取り上げられていた。
「線路を列車が走っていて、このまま進むと工事中の5人をひき殺す可能性があります。直前に右に曲がる線があり、そこでは1人が作業中です。あなたは、どちらを選びますか。」という問題。ほとんどの人が1人の方を選ぶだろう。では、「5人の作業員直前に橋があり、一人の太った人を突き落とせば、列車は止まって5人は助かります。あなたは、どうしますか。」という問題。日本人なら、絶対「突き落とす」とは、言わないだろう。しかし、アメリカ人の中には、「5人を助けるために1人を突き落とす」と答える人がいるかもしれない。これが合理主義的考え。しかし、日本人的倫理観から言うと、ほとんどの人が「突き落とせない」と答えるだろう。たとえ5人が亡くなっても。これが日本人的考え。
以前、宣教師が説教で言っていたことだが、「コンクリート塗り立ての所に小鳥が止まって、そのままコンクリートが固まって、小鳥は逃げられなくなった。あなたは、どうしますか。」という質問で、宣教師は「かわいそうだから、大きな石で殺してあげる。」と言った時には、びっくりした。日本人なら「かわいそうだから、死ぬまで水や食べ物をあげて、看取ってあげる。」というかもしれない。しかし、合理的な考えというのは、どうせ死ぬなら、苦しまずに早く殺してあげた方が親切だということらしい。
ずっと前に、英会話のアメリカ人講師が言っていたこと。和歌山市に飲みに行ったとき、日本人がからんできた。私は180㎝以上あり、体重も100kg近いのに、その小さい日本人はけんかを売ってきた。どう考えてもおかしい。私が逆の立場なら、とうてい勝てそうにないから、逃げるだろう。それが、合理的な考え方。しかし、日本人は逃げるのは、卑怯だ。大和魂があれば、神風が吹いて勝てるかもしれない、と考えるのだろう。だから、日本は負けるとわかっている戦争でも突入したのかもしれない。連合艦隊の山本五十六は「是非やれと言われれば、初めの半年や一年は、ずいぶん暴れてごらんにいれます。しかし、二年、三年となっては、全く確信は持てません。」と言っているのにである。ある意味、恐ろしい考えである。アメリカ人は負けるとわかっている戦いは絶対にしない。
アメリカの宣教師や牧師は、家に銃や鉄砲を置いている人が多い。なぜか尋ねると必ずこう答える。「強盗がやってきて、あなたの奥さんや子どもを人質にとったら、戦いませんか。」と。日本人聖職者なら、たとえ銃を持てたとしても持たない人が多いだろう。
ダッカ日航機ハイジャック事件の時、福田赳夫首相は、「一人の命は地球より重い」と言い、身代金600万ドルと収監中の赤軍派戦士9名を釈放した。これが日本人的考え。しかし、欧米では、絶対にテロリストとは取引しない。人質が全員亡くなってもテロリストは必ず捕まえるか殺す。なぜなら、そこで要求をのんでしまうと、次々と同様のテロを起こす可能性があり、もっとたくさんの人々が亡くなるからである。
大陸的合理論と日本人的倫理観、こうも違います。これは、長年培ってきたものですから、そう簡単に答えは出ません。
日本でも、自分を犠牲にして大勢の人の命を助けた人がいます。
明治時代、北海道旭川の塩狩峠で列車が離れ逆走し始め、スピードがあるためカーブを曲がりきることができないと考えた、長野政雄さんという方が多くの乗客の命を救うため、自分の身を投げ出し、くさびとして列車を止めた。これを「塩狩峠」という小説にしたのは、三浦綾子さんで、映画化もされた実話です。
イエス・キリストも私たち人類の罪の身代わりに命を捨てて十字架にかかってくださいました。そこに愛があるのです。日曜日には、教会へお越し下さい。

「線路を列車が走っていて、このまま進むと工事中の5人をひき殺す可能性があります。直前に右に曲がる線があり、そこでは1人が作業中です。あなたは、どちらを選びますか。」という問題。ほとんどの人が1人の方を選ぶだろう。では、「5人の作業員直前に橋があり、一人の太った人を突き落とせば、列車は止まって5人は助かります。あなたは、どうしますか。」という問題。日本人なら、絶対「突き落とす」とは、言わないだろう。しかし、アメリカ人の中には、「5人を助けるために1人を突き落とす」と答える人がいるかもしれない。これが合理主義的考え。しかし、日本人的倫理観から言うと、ほとんどの人が「突き落とせない」と答えるだろう。たとえ5人が亡くなっても。これが日本人的考え。
以前、宣教師が説教で言っていたことだが、「コンクリート塗り立ての所に小鳥が止まって、そのままコンクリートが固まって、小鳥は逃げられなくなった。あなたは、どうしますか。」という質問で、宣教師は「かわいそうだから、大きな石で殺してあげる。」と言った時には、びっくりした。日本人なら「かわいそうだから、死ぬまで水や食べ物をあげて、看取ってあげる。」というかもしれない。しかし、合理的な考えというのは、どうせ死ぬなら、苦しまずに早く殺してあげた方が親切だということらしい。
ずっと前に、英会話のアメリカ人講師が言っていたこと。和歌山市に飲みに行ったとき、日本人がからんできた。私は180㎝以上あり、体重も100kg近いのに、その小さい日本人はけんかを売ってきた。どう考えてもおかしい。私が逆の立場なら、とうてい勝てそうにないから、逃げるだろう。それが、合理的な考え方。しかし、日本人は逃げるのは、卑怯だ。大和魂があれば、神風が吹いて勝てるかもしれない、と考えるのだろう。だから、日本は負けるとわかっている戦争でも突入したのかもしれない。連合艦隊の山本五十六は「是非やれと言われれば、初めの半年や一年は、ずいぶん暴れてごらんにいれます。しかし、二年、三年となっては、全く確信は持てません。」と言っているのにである。ある意味、恐ろしい考えである。アメリカ人は負けるとわかっている戦いは絶対にしない。
アメリカの宣教師や牧師は、家に銃や鉄砲を置いている人が多い。なぜか尋ねると必ずこう答える。「強盗がやってきて、あなたの奥さんや子どもを人質にとったら、戦いませんか。」と。日本人聖職者なら、たとえ銃を持てたとしても持たない人が多いだろう。
ダッカ日航機ハイジャック事件の時、福田赳夫首相は、「一人の命は地球より重い」と言い、身代金600万ドルと収監中の赤軍派戦士9名を釈放した。これが日本人的考え。しかし、欧米では、絶対にテロリストとは取引しない。人質が全員亡くなってもテロリストは必ず捕まえるか殺す。なぜなら、そこで要求をのんでしまうと、次々と同様のテロを起こす可能性があり、もっとたくさんの人々が亡くなるからである。
大陸的合理論と日本人的倫理観、こうも違います。これは、長年培ってきたものですから、そう簡単に答えは出ません。
日本でも、自分を犠牲にして大勢の人の命を助けた人がいます。
明治時代、北海道旭川の塩狩峠で列車が離れ逆走し始め、スピードがあるためカーブを曲がりきることができないと考えた、長野政雄さんという方が多くの乗客の命を救うため、自分の身を投げ出し、くさびとして列車を止めた。これを「塩狩峠」という小説にしたのは、三浦綾子さんで、映画化もされた実話です。
イエス・キリストも私たち人類の罪の身代わりに命を捨てて十字架にかかってくださいました。そこに愛があるのです。日曜日には、教会へお越し下さい。

Posted by ちゃーちゃん at
17:44
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