2023年09月04日

美福門院

最上廃寺跡が、鳥羽上皇の后、美福門院の居所だったと言われている。
美福門院

なぜ、こんなへんぴなところに住んだのか。
それは、西行が好きだったからである。
西行の故郷、田中の荘の隣、荒川の荘に住みたかった。ここが、鳥羽の領地だったこともある。
荒川を安楽川と読み替えたのは、美福門院だと言われている。

高野(たかの)に高野寺を建てた。最上と高野(たかの)、高野山は一直線上に並ぶ。
毎日、西行のことを思って暮らしていたに違いない。知らんけど。

その証拠に、亡くなった後、鳥羽の墓、京都にある安楽寿院に入るべきなのに、自分の骨は高野山へ届けてくれと遺言する。

その骨を受け取ったのは、西行だった。不動院に納められたという。

死んでも一緒になりたかった、西行。平清盛のライバルと言われたが、わずか23歳で出家した。

日曜日は、粉河チャペルへどうぞ。



Posted by ちゃーちゃん at 07:43│Comments(2)
この記事へのコメント
史跡を紹介していただいて 有難うございます。北山村ブログには 南紀の伝承や史跡を 知らせてくれるブログが ありましたが 村役場の都合で無くなりました。
Posted by 伝兵衛 at 2023年09月03日 13:27
伝兵衛さん、いつもありがとうございます。
北山村ブログ、一度見たかったです。
この近くには、美福門院の墓というのもあります。以前、紹介したかと思いますが、また紹介したいと思います。

一般には、美福門院は京都で亡くなったことになっていますが、私はこんな話が突然、桃山で生まれるなんて考えられず、でったい美福門院はこの地に住み、亡くなったと信じています。
Posted by ちゃーちゃんちゃーちゃん at 2023年09月04日 09:29
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