2021年11月09日
龍門山と寺山
左が紀州富士龍門山、右が寺山と言います。なぜ寺山というのか。
平安時代、鳥羽天皇の妃、美福門院が荒川に移り住んで来て、高野(たかの)に高野寺を建てました。
なぜ、こんな辺鄙な土地に来て、お寺を建てたのか。
それは、大好きな西行法師の出身地(田中の荘)の隣荒川に住み、高野山にいる西行法師を思ってのことでした。
居住地の桃山の調月と高野寺と高野山は一直線上に並びます。
ちなみに、荒川を安楽川と変えたのは、美福門院だと言われています。
彼女は亡くなった後、本来京都にある鳥羽天皇の墓所に入るべきなのに、自分の骨は高野山へ届けてくれと遺言しました。
なぜでしょう。それは、死んでも西行と一緒にいたかったということなのではないかと思います。
当時、高野山では女人禁制だから、骨でも女性を受け入れるかどうか、大騒動だったそうですが、結局美福門院の骨は高野山に届けられました。
桃山の市場というところ、田んぼの真ん中に、美福門院の墓があります。
日曜日には、教会へ!
Posted by ちゃーちゃん at 07:48│Comments(0)