2021年09月27日

「恵み」

「恵み」

9月26日(日)礼拝の題は「恵み」でした。要約を載せさせていただきます。

ピリピ人への手紙1章6節
 「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです」
 最近、いやな事件や出来事が多い気がします。殺人、虐待、誹謗中傷、いじめによる自殺・・・。聖書には、「終わりの日には愛が冷えてくる」と書かれています。私たちは、愛を流す存在となりたいです。私たちが努力して隣人を愛そうとしてもたかが知れています。神の一方的な恵みによって、イエスキリストを十字架につけ、私たちは救われました。その中で生かされ神の愛を受けています。すべては、恵みです。

 御言葉にある「よい働き」とは魂の救いということです。福音はパウロが宣べ伝え始めましたが、元の働きをなさるのは、神様です。

 牧師といえども罪人です。救われるために対価を払ったわけでもありません。だから恵みなのです。私たちは、その恵みを受け取り続けるだけです。

 私は、刑務所の教誨師をさせていただいています。近畿地区で教誨師の研修会がありましたが、その中に元やくざの方が2人、元暴走族の方が2人います。その方々は、NPO法人などを立ち上げ、少年院や刑務所を出て来た方々を受け入れる施設をつくり、お世話をしています。しかし、出て来た方々みんなが喜んでいるわけではありません。中には反発したりけんかをしたり、にげたりする方など様々です。しかし、教誨師は愛と忍耐を持って支えています。神は無から有を生み出す方です。

 私たちは、なぜ恵みによって生かされているのでしょうか。それは、神によって変えられ愛を流す者とされるためです。御霊の実は「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」私たちは時には傷ついてしまうかもしれません。しかし、神様に期待して、御霊の実をいただきましょう。神様はすでに良い働きを初めてくださっているのです。自分を見れば落ち込みます。愛のない、犠牲、忍耐がない姿に。しかし、イエスキリストに期待しましょう。



Posted by ちゃーちゃん at 05:48│Comments(0)
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